テーマとカタルシス

実に驚くべきことだがハリポタにはテーマらしいテーマがない。児童書には説教くさいテーマが普通入るものだがハリポタにはない。多くの物語では主人公は試練に立たされる。自分の認めたくない弱さを認めるとか、自分にとって大切な何かを失うとか、あるいは自分が犠牲になったりしなければならなくなる。そういった試練に打ち勝って人間的に成長し、はじめて悪を倒せるようになる。ところがハリーは成長しないのである。ハリーの成長はヴォルディモートを倒す条件になってないのである。ハリーがヴォルディモートを倒せたのはダンブルドアの冷徹な計画とヴォルディモートの詰めの甘さのおかげである。

テーマがなくてもカタルシスがあればいいという考えもある。ジャンプの王道漫画だと普通大したテーマはないが、敵を倒していくカタルシスはある。しかしハリポタではヴォルディモートは最後で実にあっけなく死ぬ。単なる事故みたいな形で倒される。そのあまりのあっけなさに読者は拍子抜けしてしまうのである。

母親の愛がテーマではないかという説がある。リリーがハリーを庇って死んだことや息子を殺されたモリーがベラトリックスを倒したこと、一方愛情に恵まれないヴォルディモートが最終的に敗北することなどが根拠になるが、リリーの保護魔法についてのいい加減な説明を見る限り作中で母の愛というテーマが充分に描写されていないように思える。リリーの保護魔法について解説があったのはなんと作者のインタビューなのである。もし作品のテーマなのであれば必ず作中に書き込んだことであろう。ハリー視点の物語であるため難しかったのかもしれないが本編にはリリーの愛について具体的な記述がほとんどない。ヴォルディモートに立ちはだかったという例くらいである。また自己犠牲によって家族を救った人間がリリー以外にはいなかったという事実はどう見ればよいのであろうか。魔法界にはむしろ愛が欠如していると見るべきだろう。モリーがベラトリックスを倒したシーンは読んでいて不自然に思った読者も少なくないのではないだろうか。モリーが戦闘技能に優れているという描写は全くなかったのであるから、いくら愛の力が強いとして無理がないだろうか。

最後までダンブルドアの単なる駒として動いたハリーではなく、スネイプの物語として読めばいいのではないかという意見が 7巻発売後に台頭してきた。 6巻までの段階ではスネイプは敵か味方か分からないように描かれており、これがハリポタの重要な疑惑の一つだった。しかも 6巻の最後でスネイプはダンブルドアを殺してしまうので味方と考えるのもそれなりに難しい立場にいる。 7巻の後半でようやくスネイプが実は味方であったことが明かされるのだが、スネイプがそれまでやって来た行為は実に感動的でもあり、多くのスネイプファンを生み出すこととなった。そのため作者が表現したかったのはスネイプではないのかという説がある。

この説の弱点はスネイプがスパイとして結局役に立っていないということである。スネイプがダンブルドアの知らないHorcruxを発見するとか、厳重にガードされたナギニを倒すようなことがあれば別であったが、そのような貢献をしていない。ホグワーツの学生を守るというような描写がちょっとある程度である。スネイプはハリーにグリフィンドールの剣を渡すが、これもスパイとしての任務とは関係なく他の騎士団のメンバーであってもストーリー上問題はない。それに加えてスネイプが死ぬ場面は実にあっさりしている。読者にはまるで単なる無駄死のように見えただろう。

むしろスネイプが死んだ理由は (1). ハリーに特攻を決断させるためと (2). ヴォルディモートに伝説のワンドのマスターを誤解させるためであると考えた方がしっくりくる。スネイプが生きていた場合を考えてみよう。ダンブルドアは既に死んでおりハリーがHorcruxであるとハリーに気付かせることができるのはスネイプしかいない。ハリーはスネイプを憎んでおり、またスネイプはヴォルディモート側に組したと見られていたため、スネイプが素直にハリーを説得したとしても聞き入れる可能性は低い。スネイプが死に、記憶をハリーに渡すのがストーリーの進行上非常に簡単な解決法であることが分かると思う。

「あらすじ」で説明したようにスネイプの死はダンブルドアによって計画されたものであった。この設定を活かせばもっとサスペンスを高められたはずである。

作者は死の意味について書きたいと発言したことがあるが、実際に7巻では多くの人・動物が死ぬ。しかしほぼすべての死に意味がないように見える。レギュラーキャラを突然殺してショックを与えるのはGAINAXが時々やる手である。また最終回に向けて湯水のようにキャラを殺して異常な緊張感を作り出す富野由悠季の演出もあるが、ハリポタでの死はそういう演出とは関係ない。

例えばハリポタのマスコット的存在であるヘドウィッグが 7巻の冒頭でいきなり死んでしまうのだが、これは戦闘中に籠の中にいるヘドウィッグに流れ弾が当たって死んでしまうのである。ヘドウィッグが何か勇敢な行動をしようとして死んだのではない。ヘドウィッグの死によって誰かが助かったということもない。単に運が悪かったのである。籠の中で逃げられずにそのまま死んでしまったのである。作者は後にメッセージを出してヘドウィッグの死はハリーが大人になること (子供時代の終わり) を象徴していると解説したのだが、作者がわざわざメッセージを出さなければならなかったことから分かるように、この意図が読み取れた読者はほとんどいなかった。

ホグワーツの戦闘でフレッドが死ぬのだが、この死にも特に何か必然性のようなものは見当たらない。フレッドはパーシーに話しかけている途中に爆発に巻き込まれて死んでしまうのだが、この時ハリー達やパーシーがそばにいて誰が死んでも不思議ではない状況であった。フレッドの運が悪かったとしかいいようがない。フレッドの死はこの後のモリーの怒りにつながっているのかもしれないが、このシーンがなくてもストーリー上に深刻な齟齬は起こらない。フレッドの作品中でのこれまでの役割はジョージと一緒に双子として珍奇なアイテムで読者/視聴者を楽しませるものであってストーリーにはほとんど絡んで来なかった。そのためここで死なせる理由がなおさら分からないのである。