米国裁判所における慰安婦訴訟

3人の朝鮮人女性が1991年に日本の裁判所で行った訴訟を始めに元慰安婦を名乗る女性が日本の裁判所で何度か訴訟を起こしている。1998年に地方裁判所で勝訴したのを唯一の例外として、日本の裁判所は日本がアジア諸国の政府と結んだ補償に関する条約を理由に日本政府による直接補償を退けている。この結果は1951年の平和条約と1965年の日韓基本条約の内容からすれば当然と言える。平和条約は日本に領土を占領されていた連合国と補償に関する協定を結ぶよう日本に命じており、「この条約に別段の定がある場合を除き,連合国は,連合国のすべての賠償請求権、戦争の遂行中に日本国及びその国民がとつた行動から生じた連合国及びその国民の他の請求権(中略)を放棄する」と定められている。1965年の日韓基本条約【訳注. に付随する協定】では「両締約国は,両締約国及びその国民(法人を含む)の財産、権利及び利益並びに両締約国及びその国民の間の請求権に関する問題が(中略)完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する」となっている。それにも関わらず2005年の国連とアムネスティ・インターナショナルの報告書では日本政府に対し元慰安婦に直接補償を行うように命じていた。さらにその上個人で訴えを起こした同盟国出身者を弁護するある弁護士は、1951年に日本政府とオランダ政府の間で取り交わした手紙を引用したことがある。その手紙によれば日本は平和条約があったとしてもオランダ人個人による請求権を否定していないと書かれていたという。

2000年9月に中国、台湾、南朝鮮、フィリピン出身の15人の元慰安婦が米国外国人不法行為法に基づき日本政府を相手に請求権(金銭的な補償についての請求権を含む)をめぐってワシントンD.C.地方裁判所で訴えを起こした。この訴訟は「Joo対日本裁判」と名付けられた。地方裁判所およびコロンビア地区の米国控訴裁判所はこの女性達の訴えを退けた。裁判所は、1951年の平和条約の条項から見て日本に対する個人請求権が有効かどうかという「政治的性格の強い訴え」の場合は米国裁判所よりも行政府に管轄権があるとする行政府の意見を取り入れた。2004年7月に米国最高裁判所は控訴裁判所に対して差し戻した。2005年6月に控訴裁判所は最初の判決を確定させた。訴訟は再び最高裁判所で審議され2006年2月21日にこの女性達の訴えは法的ではなく「政治的要求」であり政治的判断についてはその判断を裁判所が行うのではなく行政府に委ねるとする判断を下した。最高裁はもしこのような訴えを裁判所が受け入れたのだとすればそれは外交関係を指揮する大統領の権限の侵害に当たると考えた。