結論

第二次大戦前から第二次大戦中にかけて日本軍と政府が慰安婦制度を創設し、運用していたことを1992年以降日本政府が完全に認めている点については疑問の余地はない。しかしながらその説得力に関しては安倍首相の2007年3月の議論を呼んだ声明以前ですらも、小泉首相靖国神社参拝(ここには日本の戦死者が祀られているが戦争犯罪で有罪となった主要な14人も祀られている)、歴史教科書問題、上で引用した文部大臣の発言のような日本の政治的指導者の個人的発言などの日本の歴史についての関連する議論を見る限り、多くの人の目から見てかなり信頼に欠けると言わざるを得ない。承認をめぐる論争は歴史教科書の問題を中心として今の日本でも続いており、ある者は歴史教科書から慰安婦に関する記述が削られている点が日本の首相から慰安婦に送られた手紙にある「過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝える」ことに疑問を投げかけることになると主張している。

慰安婦問題は1930年代および第二次世界大戦中の日本をどう見るかというより広範な議論の一部である。自民党日本の前途と歴史教育を考える議員の会に代表される日本の歴史修正主義者はこの期間に日本が行った大罪を赦免したいと狙っているようである。歴史修正主義に反対する者は日本がこの期間の否定的な点に関しても承認すべきであり、これらを日本の後世に伝えていくべきであると主張している。このような歴史に関する論争の最近の例として高校の歴史教科書から沖縄戦(1945年4月〜6月)の間に発生した数千人規模の集団自決に果たした日本軍の役割に関する記述を削除するように文部科学省が指示した事例が挙げられる。

アジア女性基金は日本政府と資金提供者による元慰安婦に対する補償と支援に関して真摯な努力を続けてきたように思われる。すでに触れたように数カ国の政府はこの努力を評価したようである。

アジア女性基金の贖い金か、日本政府の公的な金銭的補償かという議論になった問題は主に法的議論か道徳上の議論かという問題と考えることができる。日本政府は平和条約、数カ国と結んでいる補償協定、1965年の日韓基本条約に基づく確かな法的立場を持っているようである。2006年2月に米国最高裁が「Joo対日本裁判」で下した判決は日本政府の立場を強化したように思われる。しかし公的補償を求めるのは心の問題である。アジア女性基金を擁護する者の中にさえ日本がドイツの例に倣って民間と政府が複合した基金を作り強制労働者や捕虜の虐待に対しても補償を行うこともできたと言う者もいる。慰安婦への公的補償は慰安婦以外の他の虐待を受けた集団からの賠償請求というパンドラの箱を開けるのではないかという憂慮を日本は示している。この可能性は1945年のアメリカによる日本の都市へのナパーム弾による爆撃(1945年3月9日の東京大空襲に始まり、推定で8万人以上の日本人を殺害した)と1945年8月の原爆投下に対するアメリカの公的補償を可能にする逆の危険性を孕んでいる。

日本政府は慰安婦への公式な謝罪として二つの文章を用いている。一つは1993年8月の河野官房長官談話であり、もう一つはアジア女性基金からの支援を受けた元慰安婦に送られる首相からの手紙である。首相からの手紙では書き手は「日本国の総理大臣として」言葉を述べている。この手紙はすべて同一な内容であるが「おわび」という言葉が使われており、「おわび」の対象は単なる手紙の受け取り手だけではなくすべての慰安婦に向けられている。これらが不適切であるという批判があるが、そのように批判する詳しい理由は不明である。謝罪の正しい形として国会決議を提案する者もいるが、現状では全会一致の決議がなされる見込みは遠い。

2007年3月の安倍首相の声明のいくつかは、河野談話と首相からの手紙を再肯定したものもあるが、承認と謝罪の流れにしたがったものである。しかしいくつかの声明は河野談話と首相からの手紙と矛盾しているように思われる。安倍は慰安婦制度の中で雇用のみを重視して他の面(移送、慰安所の設立と管理、慰安所での女性の管理)で果たした日本軍の深い役割を矮小化しようとする。軍は、とりわけ朝鮮では、雇用の大部分を直接行ってはいなかったのかもしれない。しかし安倍政府の軍による強制連行の否定は1992年から1993年に政府が行った調査で得られた元慰安婦の証言やタナカ・ユキの本『Japan's Comfort Women』に記載されているアジア諸国出身の200人近い元慰安婦の証言や400人以上のオランダ人の証言と矛盾している。

女性の証言の信頼性が一方では安倍政府と日本の前途と歴史教育を考える議員の会に間で重要なポイントとなっており、もう一方では河野談話と1992年と1993年の日本政府の報告書にとってもまた重要なポイントとなっているようである。河野談話と政府の報告書は元慰安婦の証言に部分的に基づいている。河野洋平衆議院議長は2007年3月30日に1993年の談話は16人の元慰安婦に対する政府の聞き取り調査に基づいており、元慰安婦は「過酷な体験をした者でなくては語れないような説明を繰り返した」と語った。反対に強制の証拠はなかったとする2007年3月16日の内閣声明および日本の前途と歴史教育を考える議員の会の声明では元慰安婦の証言を信頼できる証拠とは考えていない。以前に述べたが、報道によると安倍首相は国会議員に元慰安婦の証言を信頼できると思わないのかと尋ねられたときに何も答えなかったという。安倍政府と日本の前途と歴史教育を考える議員の会は主に朝鮮の状況を念頭に置いて発言しているように見受けられる。朝鮮では慰安婦の雇用は市民の業者によって行われたようである。業者は暴力を使わずに嘘と家族への圧力を通して慰安婦を獲得した。(もっとも一部の元慰安婦は強制連行されたと主張している。)その上、強制的な雇用の証拠はなかったという主張はオランダ戦争犯罪法廷でなされたオランダ領東インド(現インドネシア)での7人の日本軍士官と軍に雇われた4人の市民労働者がオランダ人と他の女性に強制的な売春をさせ、強姦を行った事件を扱った裁判での事実認定と判決(3人の死刑を含む)を無視しているか、または拒絶しているように思われる。これは連合国と日本との間で1951年に締結された平和条約の11条に安倍政権が反しているのではないかという潜在的に極めて重要な疑念が生じる。11条では「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾」すると定められている。

他にも明らかに慰安婦の証言を拒否することで日本国外からの日本に対する支援が受けづらくなるという結果をもたらす。これは1970年代からの始まった北朝鮮による日本の市民の拉致事件にも当てはまる。2007年3月24日のワシントンポスト紙の『安倍晋三の二枚舌』という論説では北朝鮮による拉致事件に対する安倍首相の情熱と「第二次世界大戦中に何万人という女性を強制連行、強姦、性奴隷化した日本の責任を取り消そうとする動き」を「安倍首相の二重のキャンペーン」として対照的に描き出す。この論説は「もし安倍氏が拉致された日本人市民の運命を探る件で国際的な援助を求めるのならば安倍氏は日本の犯罪に対する責任を直接認め、彼が中傷している犠牲者に対する謝罪を行うべきである」と断言している。したがって日本政府が100人以上の元慰安婦の証言を拒絶すると外部の者にとっては北朝鮮による日本の市民の拉致事件の信頼性に対する疑問を抱かざるを得ないのである。

首相の矛盾した声明は自民党日本の前途と歴史教育を考える議員の会の主張を支持しないとしても懐柔することを狙っているように思える。日本の前途と歴史教育を考える議員の会河野談話を修正もしくは削除したいと望んでおり、慰安婦制度に対する日本軍の責任をおそらく赦免しようと考えている。これらの国会議員が発表している研究やそれに対する日本のメディアや大衆の反応は今後の日本における歴史修正主義者の影響を図る重要な目安になるであろう。

慰安婦に関する議論の多くが見過ごしている一つの点は連合国や占領下にあった国の元慰安婦アジア女性基金から贖い金やまたは支援を受ける時に適度に自由に判断できたかどうかという問題である。フィリピン、インドネシア、オランダにおいては充分な程度自由に判断できたようであるが、台湾では慰安婦に思いとどまらせるような動きがあり、南朝鮮ではアジア女性基金からの支援を受け取らないように脅迫されていた。南朝鮮政府は元慰安婦に対し独自に潤沢な支援を行ったといっても、1997年にアジア女性基金の支援を求めた朝鮮人女性に対して南朝鮮が独自の支援を行うことを口実に、また他の手段も用いて圧力や脅迫を行ったことも事実である。アジア女性基金が「公的な」ものではないのでほとんどの元慰安婦は支援を拒絶し、結果として「非常に少ない」女性しか支援を受けようとしないことを理由に南朝鮮の新聞はしばしばアジア女性基金を侮辱している。南朝鮮政府と同様に新聞も1997年に政府が慰安婦に脅迫をかけたことを否認し続けている。

アジア女性基金の記録と南朝鮮政府、台湾政府の基金の記録によれば最終的に贖い金を受け取ったり、支援を受けた元慰安婦の人数が概算で500名を超えるプログラムはないようである。元慰安婦としての過去を明らかにして社会的烙印を押されることが多くの女性に前に進むことをためらわせつつあるようである。