アジア女性基金への諸外国の反応

1996年から2002年の間にアジア女性基金から贖い金を受け取った女性は285人にすぎず、生存する元慰安婦のごく一部であることは疑いの余地はない。その上200人近い女性はフィリピン人とオランダ人女性(オランダ人は79人であり、フィリピン人は100人以上であると推定される)のようである。ただしアジア女性基金はオランダ人を除いて贖い金を受け取った個人の情報開示に慎重であるため正確な内訳は分からない。台湾人でこれまで受け取ったのは40人程度でありかなり少なく、とりわけ朝鮮人の場合はほとんどいない。このような状況になったのは3つの理由があると思われる。一つ目の理由は特にアジアの社会で顕著であるが補償を申請することで元慰安婦であったことが公になり社会的烙印を押されることを恐れたこと。二つ目は日本政府は公式に謝罪していないとして贖い金の受け取りを公然と拒否した元慰安婦がいたこと。このような受け取りを拒否した元慰安婦は数カ国で組織されている団体に所属しているメンバーに多く見られる。三つ目として政府や非政府機関(NGO)が圧力、場合によっては脅しとも取れるような態度で元慰安婦アジア女性基金からの贖い金や他のサービスを受け取らないようにしむけた節が見られることである。これは特に南朝鮮で顕著であるように思われる。

南朝鮮政府は1993年3月29日に生存している元慰安婦に対して補償を行う計画があることを宣言している。これは一人に付き6400ドル相当のお金と一月に250ドルを支給する計画である。しかしアジア女性基金の設立以降、政府と南朝鮮NGOはこの計画があることを理由に朝鮮人の元慰安婦に対しアジア女性基金からの支払いや他のサービスを受け取らないように圧力をかけた。1997年1月に7名の南朝鮮人の女性がアジア女性基金からの贖い金を受け取ると南朝鮮政府は直ちにそれに反対する立場を取った。政府はアジア女性基金に関して日本政府に公式に不快感を表明し、日本政府が直接補償を行うように要求した。朝鮮人慰安婦を代表していると主張する「日本によって軍性奴隷に徴用された女性のための朝鮮人会議」など主導的なNGOも同様の立場を取っており、政府もこれを支持していた。これらの団体はアジア女性基金からの支払いを受け取った7名の女性を鋭く批判した。これらの団体の勧告を受けて政府は1998年3月に元慰安婦に対して支給する額を大幅に増やすと発表した。南朝鮮政府の官僚はこの基金朝鮮人の女性がアジア女性基金からの支援を受け取る可能性がないように意図したものであると語った。そして政府からの支援を受ける条件としてアジア女性基金からの支援を受けないことを新たに設定した。「朝鮮人会議」と「市民連合」は共にアジア女性基金からの支援を受けた女性に反対するキャンペーンを張った。結果として1997年1月に7名の女性がアジア女性基金からの贖い金を受け取った後に他に支援を受ける朝鮮人女性はいなかった。報道によればアジア女性基金は当初の予定である5年間の期限を過ぎても南朝鮮に対し支援を受け取るように勧告した。このプログラムは2002年に終了する予定であった。しかし最終的にこのプログラムの打ち切りを決定した。この決定には南朝鮮政府とNGOの反対の影響があった。

1998年3月以降、南朝鮮基金から受給資格を持つ元慰安婦一人への支払額は4300万ウォン(およそ43000ドル)に達した。これに加えて月々の生活費の支給額は74万ウォン(およそ740ドル)であった。この基金慰安婦個人への医療費の支給も行った。したがって1998年3月以降は南朝鮮基金アジア女性基金よりも支給額は多かったことになる。しかし2006年3月現在でこの南朝鮮基金に申請を出した南朝鮮人女性は208人にすぎず、政府の管理者が元慰安婦として資格を認めた者は152人であった。派手な宣伝を行った南朝鮮政府の基金に対して、このようなわずかな申請者しかいなかったという事実は大部分の慰安婦は日本政府の基金に申請したかったのか、それとも自国の政府の補償計画に申請したかったのか、あるいは元慰安婦としての社会的烙印を押されることを恐れたのかという疑問を生じさせる。

台湾は1996年に独自の補償基金を設立した。台湾政府と民間組織である台湾女性救援財団(TWRF)がその資金を提供した。この基金は元慰安婦に対し50万新台湾ドルを支払い、この額はアジア女性基金の贖い金とほぼ同額である。政府とTWRFは日本が公式な補償をすべきであると主張している。アジア女性基金からおよそ40人の台湾人女性が支援を受けたと推定されている。しかしながら南朝鮮の場合とは違ってアジア女性基金に対する反発は少なくとも公然とは見受けられなかったようである。基金のプログラムは期間中に台湾の新聞で宣伝されていた。

アジア女性基金はフィリピン、インドネシア、オランダでもプログラムを実行した。これらの国々では基金の多くは日本政府から出資され慰安婦のためのより広い社会福祉に使われた。フィリピン大統領フィデル・ラモスはこの基金は法律上は私的なものであるがフィリピン人の元慰安婦の役に立つと語った。1997年1月15日にアジア女性基金とフィリピン政府は元慰安婦のための医療福祉支援プログラムに関する覚書にサインをした。このプログラムは、それから5年間にわたってフィリピン政府厚生省によって実施された。しかし二つのNGOグループがフィリピン人女性がアジア女性基金からの贖い金を受け取るべきかどうかという点をめぐって対立した。フィリピンLILAは公式に日本政府に対して支払いを要求したが、アジア女性基金に申請した女性には支援を行った。一方マラヤ・ロラズはアジア女性基金を拒絶した。アジア女性基金からの贖い金を受け取ったフィリピン人女性は100人を超えると見積もられている。

1997年3月にアジア女性基金インドネシア厚生省と「インドネシアの老人のための社会厚生の向上」というインドネシア政府のプロジェクトへの財政支援について覚書を交わした。アジア女性基金の財政支援は10年以上に渡り総額3億8000万円(およそ3800万ドル)【訳注. この金額は原文ママ】に達した。このプロジェクトは老人を対象にしたものであったが元慰安婦に対して高い優先順位が与えられていた。インドネシア政府は女性がこの支援を受けるのを歓迎し、積極的に承認した。2004年3月の日本の外務省の声明によれば200人がこのプロジェクトの支援を受けた。

アジア女性基金は当初「日本の名誉ある負債のためのオランダ基金(FJHD)」という慰安婦を含む戦争被害者のNGOと交渉したがFJHDは基金による補償を拒絶した。オランダ政府の支援の下、アジア女性基金は他の民間団体である「オランダにおける計画実施委員会(PICN)」と元慰安婦の生活を支援するための覚書を最終的に取り交わした。3年間に渡ってアジア女性基金は2億4150万円(およそ2400万ドル)【訳注. この金額は原文ママ】を使い79名の女性を支援した。

H.Res.759は日本政府に対し国連とアムネスティ・インターナショナルの勧告に従うように要求した。H.Res.121 は日本政府に対し「国際社会」の勧告に従うように要求した。国連人権委員会は1990年代に慰安婦問題について調査を行った。国連特別報告官が1996年と1998年に人権委員会に提出した二つの報告書は日本を批判し、元慰安婦に対して公的な補償を行い、慰安婦制度の責任者を訴追するように要求している。しかし人権委員会はこれらの報告書を承認したが、決議の際には報告書で記載されている勧告を完全に支持しなかった。2001年9月に委員会は日本に対して「第二次世界大戦の犠牲者に対して補償する」ように勧告した。国際人権組織であるアムネスティ・インターナショナルアジア女性基金を批判し、日本に対して元慰安婦に公的な補償を行うように要求している。