首相から元慰安婦への謝罪の手紙

1995年7月にアジア女性基金が創設された時点で村山首相は基金の支援を受けた人一人一人に謝罪の手紙を送ることを約束した。村山は慰安婦制度について「国家の過ち」であり「全く弁解できない」と表現した。しかし保守的な自民党の党首でもあった橋本龍太郎次期首相は1996年に首相に就任すると、最初の贖い金を実施しようとしたアジア女性基金に対してそのような手紙を書くことを拒絶した。これはアジア女性基金の役員から批判を受けた。三木武夫元首相の妻であった三木睦子はこれに抗議して役員を辞任した。1996年7月になると橋本首相は態度を変え、8月に最初の謝罪の手紙を出した。同一の手紙が4人の首相(橋本、小渕、森、小泉)から贖い金の受取人に対して送られている。
この手紙の内容は以下の通りである。

  • 「日本国の総理大臣として」の言葉である。
  • 「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた。」
  • 首相は「慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し、心からおわびと反省の気持ち」を表明する。
  • 首相は単なる手紙の受け取り手だけではなく慰安婦全員に対して謝罪する。
  • 「わが国としては、道義的な責任を痛感しつつ、おわびと反省の気持ちを踏まえ、過去の歴史を直視し、正しくこれを後世に伝える」ことを首相として保障する。この手紙で使われた「おわび」という言葉は日本語として罪の認識を含むとても強い意味を持った言葉である。