アジア女性基金

1992年と1993年の談話を受けて日本政府の官僚は生存している慰安婦を支援する意向を発表した。具体的にはアジア女性基金のことである。アジア女性基金社会党員である村山富市首相が設立し1995年7月19日に開設された。アジア女性基金は支援を申請した元慰安婦に対して次の3つのプログラムを用意した。(1) 元慰安婦一人当たり200万円(およそ2万ドル)の贖い金、(2) 元慰安婦一人当たり250〜300万円(2万5千〜3万ドル)の医療と福祉サポート、(3) 受領者一人ごとに首相からの謝罪の手紙。

贖い金は1996年から2002年に活動を停止するまで元慰安婦に直接支払われた。その期間中285人の元慰安婦に対して5億6500万円(およそ570万ドル)が支払われた。医療サポートは2002年を過ぎてもいくつかの国で継続して行われている。2006年3月現在、アジア女性基金はこれらのプログラムに南朝鮮、台湾、フィリピンで7億円(およそ7百万ドル)提供し、3億8000万円(およそ380万ドル)をインドネシアに、2億4200万円(およそ242万ドル)をオランダに提供した。アジア女性基金は2007年3月に活動を終える予定である。

アジア女性基金のプログラムで金銭を直接日本政府が提供する点が議論になった。政府は1995年から2000年3月まで合計350億円(およそ3500万ドル)の運営費用を支出した。政府はさらに医療福祉サポートにも支出した。しかしながら政府は贖い金を支払うことを拒否した。贖い金の資金は日本人の個人による献金を通して集められた。2004年3月の日本外務省の声明によるとアジア女性基金は「個人、企業、労働組合、政党、議員、閣僚」などから5億9000万円を集めていた。政府はもっと献金を集めるためにアジア女性基金のキャンペーンには支出している。1951年の日本と連合国との間の平和条約によって日本政府の支払う補償は日本に占領されていた国と連合国に対して支払われ、ありうる全ての個人補償はこの資金から拠出されるように定められており、日本政府の直接補償についての基本的立場はこの原則に従っている。日本政府は日本に占領されていたいくつかの国と同様の条約を結んでいる。報道によれば仮に元慰安婦に直接補償を行った場合、第二次世界大戦中に受けた被害に関して同様の補償を求めるグループが現れるかもしれない可能性を政府は恐れているという。しかし政府が直接補償をしないのは慰安婦制度の責任をすべて引き受けるつもりがない現れだと批判された。